一にも二にも「日本語力」をつけよう ――第5回

千人回峰(対談連載)

2007/02/13 00:00

大野侚郎

大野侚郎

つくば国際大学 教授

ゲスト:つくば国際大学教授 大野侚郎 VS ホスト:BCN社長 奥田喜久男  大野侚郎先生と知り合ったのは、創業直後だった。豊島区の大塚に会社を構えたが、近くに「江戸一」という飲み屋があり、お互いに常連組として口をきくようになった。名刺交換した時、日本ビジネスオートメーション(現在の東芝情報システム)取締役とあり、ビックリしたことを鮮明に記憶している。以来、BCN紙のコラム「視点」の筆者になってもらったり、技術で分からないことがあったら、先生の元に駆けつけることにしている。独特の語り口には定評があるが、今回は少し大きな視点からお話を伺った。【取材:2007年1月17日、BCN本社にて】

 「千人回峰」は、比叡山の峰々を千日かけて歩き回り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借しました。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れることで悟りを開きたいと願い、この連載を始めました。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
株式会社BCN 社長 奥田喜久男
 
<1000分の第5回>

※編注:文中の企業名は敬称を省略しました。
 

小学生の国語の時間は戦前の1/3に

 奥田 先生の著作を読みますと、ペルリ、マッカーサー、ビル・ゲイツの名前がよく出てきます。因果関係を教えてください。

 大野 「ペルリに強姦され」、「マッカーサーに去勢された」のが日本だというあれね。ただ、彼らにすれば「他国は白痴国家であって欲しい」というのは当然の戦略なんです。問題はその戦略に乗るかどうかなんですが、戦後、それにものの見事に乗ってしまったのが、霞ヶ関だったと思うんです。

 西洋を崇拝、欧米追従路線を取る一派は明治時代からいたわけですが、戦後は“優秀”な官僚がこの派を代表するようになった。彼らは、4年制大学を卒業、志を持たずにお役人になり、寄らば大樹の陰を決め込んでいるように見えます。

 奥田 白痴国家ですか。

 大野 たとえば教育です。読み、書き、そろばんといいますが、教育の原点は、国語と算数の力をいかにつけさせるかにあります。

 ところが、小学校の国語の教育時間は、戦前は10時間あったのに、いまは3時間と3分の1に減らされているんです。算数も同じようなものです。小学校から、英語を教えようと主張する人もいますが、冗談じゃない!

 国語じゃなく日本語を学べと私は主張しているんですが、国語も日本語も漢字+平仮名+片仮名からなっています。漢字は孤立語、平仮名は膠着語、片仮名は屈折語と位置づけられます。孤立語は、単語に接頭辞や接尾辞のような形態素を付着(膠着)させたり、語頭や語尾などの形を変化(屈折)させたりすることがなく、これは中国語が代表です。膠着語は、ある単語に接頭辞や接尾辞のような形態素を付着させることで、その単語の文の中での文法関係を示す特徴を持ち、日本語や朝鮮語がそうです。屈折語は、主語が変わると、動詞を変えたり、格変化をさせたりする言語を指し、ラテン語やギリシャ語、ヨーロッパ言語の多くこれに含まれます。

 要するに、各語には各語の特徴があるわけですが、日本は明治維新以来、片仮名を取り入れることで、西洋文法の焼き直し教育をやってきました。これは大変不幸なことです。もっとも、孤立語、膠着語、屈折語を自在に操るのは日本人が優秀だから、といえないこともありません。

 英語教育も、100年間不毛の教育を続けてきたと言われます。たとえば、(1)英語教師の8割が英語で話せず、書けない、(2)入試英語は、文法・講読・会話の分裂症である、(3)予習・復習による集中的・効果的訓練がなされていない――などの問題が指摘されています。

 現に、英語で日本を紹介できる外交官って少ないんですよ。パーティーなどに出てみると、外国人と対等に議論してるのは技術者など民間人であって、外交官は壁の花というケースをよく見ます。

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